はじまりは有田

日本には様々な陶磁器が存在しますが、日本初の磁器は佐賀県有田町で誕生しました。

それは1616年。豊臣秀吉によって行われた文禄・慶長の朝鮮出兵により、佐賀藩が朝鮮から引き上げた際に日本に連れて来た陶工の一人、李参平が有田の泉山で磁器の原料となる良質な陶石を発見したことから始まりました。その陶石を使って、白い素地に無色の釉薬をかけた磁器、白磁を作り、そうして有田焼が誕生したのです。

初期の有田焼は白磁に藍色で模様を描いた染付の技法でつくられました。その後、濁手と呼ばれる乳白色の素地に上品な赤を主とし、余白を活かした絵画的な文様を描いた柿右衛門様式や、金彩を交えた豪華爛漫な金襴手などが製造されました。それらはオランダの東インド会社(VOC)によってヨーロッパに輸出され、王侯貴族にも重宝され、ヨーロッパの磁器製造に大きな影響を与えました。

「∞ARITA」は佐賀県の協力のもと、アメリカ・ニューヨークを皮切りに、新しい有田焼を世界へ発信していくプロジェクトです。

その恵まれた環境

有田焼は地の利から生まれた賜物です。火を焚くための薪は有田町を囲む山から集められ、その山の斜面を活かして登り窯がつくられました。有田町を流れる川は陶石を砕く動力となり、陶土がつくられました。

その地形は有田焼の製造だけではなく、技術を外部に漏らさぬよう保持することにも貢献しました。江戸時代の有田町は内山・外山・大外山に分けられ、要所に代官所や番所を配置し、陶石の持ち出しと製品の品質管理、住民の出入りを厳しく監視。また、製造所は工程ごとに分業制が敷かれ、容易に技術を持ち出せないよう徹底されており、有田町では今でも分業制が継承されています。

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磁器の魅力とは

磁器は様々な姿形に変化します。花瓶や壷といった美術品から湯のみや茶碗といった日用品、また、電柱の電気が外に漏れないよう電線を支える碍子といった工業製品まで、その用途は無限大です。時代を超えて人々を魅了し続ける有田焼は、今日も人々の生活を彩り続けています。

「∞ARITA」は佐賀県の協力のもと、アメリカ・ニューヨークを皮切りに、創業400年の長い歴史の中で培われた伝統・技術を駆使して作る新しい有田焼を発表し、世界へ発信していくプロジェクトです。

「挑戦(チャレンジ)なくして、伝統なし」
日本初の磁器であり、佐賀県が世界に誇る有田焼。「∞ARITA」を通して今、新たな挑戦がはじまります。

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1670~1690年代に製作された、酒井田柿右衛門の作品。典型的な柿右衛門様式を用いた花形皿です。佐賀県立九州陶磁文化館所蔵 柴田夫妻コレクション